2014年10月22日(水)ほっこりカフェ
本日は雨にもかかわらず、ほっこりカフェにはお客様の参加が多く、6名の方の出席、スタッフ4名の合計10名の方が出席してくださいました。
今回も話題が事欠かず、食べ物の話から、太極拳、教会のバザーの話などなど、次々と話が広がっていきました。
時間があっという間に過ぎ、楽しく、ほっこりしました。
また15時より、第2部 講話「幸せに生きるためには―キリスト教的人生観」(質問形式)を開催しました。参加者はノンクリスチャン4名を含む11名でした。
今回も前回のテーマと同様に、幸せに生きるためにはというテーマで、そのためにはまず、ものの見方を変えることが大切で、前回と同様に当たり前のありがたさに気づくことが、幸せにつながるという話をしました。
そのことについて、32歳の若さでこの世を去った医師 井村和清氏の「あたりまえ」の詩を引用しました。
あたりまえ こんなすばらしいことを、
みんなはなぜよろこばないのでしょう
あたりまえであることを
お父さんがいる、お母さんがいる
手が二本あって、足が二本ある
行きたいところへ自分で歩いていける
手をのばせばなんでもとれる
音がきこえて声がでる
こんなしあわせなことがあるのでしょうか
しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだ、と笑ってすます。
食事がたべられる
夜になるとちゃんと眠れ、そして又朝がくる
空気を胸いっぱいにすえる
笑える、泣ける、叫ぶこともできる
走りまわれる
みんなあたりまえのこと
こんなすばらしいことを、
みんなは決してよろこばない
そのありがたさを知っているのは、
それを失った人たちだけ なぜでしょう あたりまえ
次に、3歳の時に事故で、体が不自由になり、12歳の時に「わたしの願い」という詩を書いた森琴音さんの詩を挙げました。
わたしはしゃべれない歩けない
口がうまくうごかない
手も足も自分の思ったとおりうごいてくれない
一番つらいのはしゃべれないこと
言いたいことは自分の中にたくさんある
でもうまく伝えることができない
先生やお母さんに文字盤を指でさしながら
ちょっとずつ文ができあがっていく感じ
自分の言いたかったことがやっと言葉になっていく
神様が1日だけ魔法をかけて
しゃべれるようにしてくれたら…
家族といっぱいおしゃべりしたい
学校から帰る車をおりてお母さんに
「ただいま!」って言う
「わたし、しゃべれるよ!」って言う
お母さんびっくりして腰をぬかすだろうな
お父さんとお兄ちゃんに電話して
「琴音だよ!早く、帰ってきて♪」って言う
2人ともとんで帰ってくるかな
家族みんながそろったらみんなでゲームを
しながらおしゃべりしたい
お母さんだけはゲームがへたやから負けるやろうな
「まあ、まあ、元気出して」ってわたしが言う
魔法がとける前に
家族みんなに
「おやすみ」って言う
それでじゅうぶん
さらに脳腫瘍により、2011年に逝去されたクリスチャンであり、心理カウンセラーであった柿谷寿美江さんの詩も紹介しました。
幸せ(happiness)とは、朝、窓からそそぐ太陽の光を見る事
幸せとは、息をし、話し、聞き、そして見ることが出来る事
幸せとは、血栓を防ぐ為にたとえ少しであっても自分で足や手を動かすことが出来る事
幸せとは、腕に点滴の針を刺す必要がなくなる事
幸せとは、援助をしていただきながら暖かいシャワーを浴び、私のお気に入りのパジャマを着る事
幸せとは、戦争のない国に住んでいる事
幸せとは、CDプレーヤーで美しい音楽を何度も何度も聴く事
幸せとは、家族や多くの友人たちが私のことを思い、祈って下さっている事
幸せとは、長い手術の間、私を心配して夫や友人たちが待合室にいてくれた事
このことから、幸せというのは何か遠いところや外側にあるのではなく、幸せは内面的なことであり、同時に身近にあること、日常の中にあること、当たり前の中にあることを話しました。
そして、神様は私達に幸せを与えられること、聖書では平和という言葉で表現され、イエス様は私達に平和、争いもない、平和な気持ち、幸せを与えられることを語りました。