2015年3月15日(日)大斎講話

  本日、昼食後に大斎講話(主題「祈りについて」)が開催されました。
 大斎講話では「祈り」について、特に祈りの基本、祈りの語源・姿勢、請求書の祈りと領収書の祈り、祈りの最終目標などについて、聖書を根拠にして、実話を絡めた話をしました。
 
 レジュメ↓

(1)祈りの基本

  まず、祈りの基本としては、第1に祈りとは魂の呼吸、あるいは「祈り」とは「呼吸すること」(アウグスティヌスの言葉)。
肉体的に呼吸するように、祈りも霊的、魂として呼吸するように祈ることが肝要。
 
 第2に祈りとは父なる神様との会話ということ。
エス様は「あなたの父に祈りなさい」(マタイ6−6)と言われ、同時にイエス様は「私の名によって祈りなさい」と言われているので、父なる神様に向かって、イエス様の名によって祈ることが基本となる。
 
 (2)祈りの語源、姿勢
 
  祈りの語源、姿勢について、心理学博士の小林 正観氏は本来、「祈り」や「願い」という言葉の語源が、祈りとは意(神の意)+宣(宣言(のりごと)の宣(のり)で、つまり、神様の考えている事、為せることについて賞賛する事、褒めたたえることだと述べている。
 ここから「祈り」や「願い」とは、自分の夢や希望を叶えてもらいたいというから使うのではなく、天や神様に対して、今私たちがして貰っていること、置かれている状況について、ただただお礼をいい、感謝の言葉を伝えること、それが「祈り」であり「願い」という事だと言われている。
 
 具体的には「今、普通の状態で自分の足で歩けて、自分の口で食べられて、自分の目で見ることができて・・・本当にいろいろなものをたくさんいただいているのです。それに対して『ありがとう』とお礼を言うことが原点と語っている。
 
 エッセイストの浅見帆帆子さんも理想的なお祈りの仕方として、例えば、人(特に目上の方)に会った時に、挨拶もなしにすぐ自分の希望や頼みごとを話し出したりは絶対しなくて、まずは挨拶の言葉があって、それから最近の近況報告をしたり、お世話になっている方でしたら「おかげさまで」という感謝の気持ちを言ったりする。
 それと同じでなにか神聖なものにお参りする時、(つまり神様に対しても)、目上の人にお話をするように、つまり、「まずはご挨拶、それからいつも本当にお世話になっているのだから、「ありがとうございます」の感謝、そして今の状況やお願いごと」する(必要がある)と述べている。
 
  続けて浅見さんは、お世話になっている人にうまくいったら報告するように、良いことがあったり、何かが成功した時には、お礼の気持ちを「おかげさまで、ありがとうございました」と伝えなければいけないと言われている。
 
  このことは聖書では「神に感謝します」(Ⅱコリント2:4)、「ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい」(ピリピ4:6 口語訳)とあります。
 このことは正にキリスト教会、また教会の礼拝についても当てはまり、私たちも礼拝では、また日常での祈りでは神様に対して先に願いを一方的に捧げるということはないでしょうか。

 (3)請求書の祈り・領収書の祈り

  請求書・領収書の祈りがあり、請求書の祈りは、「ああしてください」「こうしてください」などという正に請求書をつきつけるような祈り、あるいはまた、自分中心の祈り、利己主義的な願い、要求のみの祈りと言えるでしょう。
 
  領収書の祈りというのは、請求書と反対の意味に当たる、「支払いがされた証明書」、つまり、受け取りの祈りと言うことになるでしょう。
  端的に言うと、神様からすでに頂いている恵みに気づき、その恵みを頂いたことに感謝するということが領収書の祈りでこの領収書の祈りをすること大切ではないでしょうか。

  マザー・テレサはインドで2日分のお米が無く、二万人の人が、空腹のまま二日間、何も口にすることができない状況のとき、マザー・テレサのとる態度は決まっていて、神を信頼して、祈るということだった。
 「二日分のお米がなければ、大勢の人々がお腹を空かせてしまいます。今、飢えて動けない人もいます。私は食べられなくてもかまいせん。どうか貧しい人々に必要な食べ物をお与えください」とこのように一生懸命祈りをして、神さまはそのような祈りを聞き入れられて、二日分のパンがマザーたちのもとへ運ばれてきたことがよく起こった。
 
  なぜマザー・テレサの祈りを神様はいつも聞き入れてくれるのかということですが、実はマザー・テレサは神様にお願いする前に必ず感謝の言葉を忘れなかったということ。  
 マザー・テレサは誰もが祈るように日々、「お願いします。助けてください」と祈っていましたが、しかし、その前に、それ以上に、「ありがとうございます。いつも感謝しています」と祈っていた。
 
  このマザー・テレサの実践は「目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈りなさい」(コロサイ4:2)というみ言葉が根拠になっていることは明らかです。

  私達はまずは神様に対して、何事も感謝とお礼を言うこと、その後、報告、願い、頼みごとという順番をすることを目指したいと思います。
 
  また、マザー・テレサのように神様に対して「お願いします。助けてください」と祈る前に、それ以上に、「ありがとうございます。いつも感謝しています」と祈るというそのような理想に近づきたいと思います。
 
 (4)祈りの最終目標

  祈りの最終目標として、祈りは、「神様の思い、神様の心に、自分の心をできるだけ一致させていくこと」、つまり、「わたしの思いと行いが、神様の御心にかなったものとなれますように」というのが、祈りの理想、祈りの最終目標。
  つまり、自分の思い、考えではなく、神様の御旨(思い)に沿うような祈りになることが祈りの本質と言える。
 
  もちろん、言うは易し、行うは難しと言われている通り、私達、人間は弱い存在ですので、日常的にこのような祈りを実践することは難しいですが、少しずつ、自我を消していって、神様のみ心にかなうような祈りを目指して行きたいと思います。