2015年11月18日(水)第2部 「聖書から人生を学ぶ」とほっこりカフェ

 本日、ほっこりカフェの第2部「聖書から人生を学ぶ」(マタイによる福音書25:14〜30)を開催しました。

 今回はバザー後と雨の影響もあり、参加人数は少なく、ノンクリスチャン1名、クリスチャン5名の合計6名が参加しました。
 
 聖書の箇所は有名なタラントンのたとえで、いわゆる才能、能力、賜物を意味する英語のタレントはタラントンから来ています。
 聖書の1タラントは注釈では6000デナリとあり、1デナリは当時の労働者の一日分の給料に相当。一日1万円と見積もれば6000万円、安く見積もって5000円としても、およそ3千万円という金額となっています。
 この文脈で言うと、15節は「彼は、おのおのその能力に応じて、一人には1億5千万円、一人には6千万円、もう一人には3000万円を渡し、それから旅に出かけた」ということになります。
 1タントンというとわずかな金額をイメージしてしまいがちですが、そうではなく、莫大な金額を任せられたということができるでしょう。
 この1タラントのには、それだけすごい大金を管理、運用できるだけの能力もありましたし、十分な実績もあって、信用もあったということが言えるのではないかと思います。
 もし、信用を置けない人だったら、主人はこの男に1タラントを託さないはずだからです。
 ところが主人が戻ってくると、この男は『ご主人様。あなたは、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました…』と主人への信頼も愛情などを理解しようとはせず、ただ地面に埋めてしまうのでした。
 しかし、二人の僕は「忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」と言われているように、賜物の大小に関係なく、自分に委ねられたものに忠実だったのです。

 タラントンのたとえは一般的には「神から与えられ、預けられたもので、生かして用いることを求められているもの」と考えることができるが、しかし、本質的には「神から注がれた愛の大きさに気づいて、その神の愛にどう応えたか」というメッセージがあります。
 つまり、そうした神様の愛、恵みを託された私たち人間がその神様からの愛や恵みに気づき、恵みを地面に埋めてしまうことなく、感謝し、応えることが必要だということが言われているのです。
 
 今回の感想では、1タラントンの男の気持ちがわかるという感想や才能や能力は人と比較するのではなく、また5タラントン、2タラントン、1タラントンと決められたのは神様であって、人が人に対して才能や能力を決めることではないという説明をしました。
 





 ほっこりカフェではお客様3名、スタッフ3名の合計6名が出席しました。
 少人数でしたが、暖かな雰囲気とおしゃべりに花が咲き、楽しく、ほっこりして、感謝でした。