2015年8月19日(水)ほっこりカフェ後の第2部「幸せに生きる

 2015年8月19日(水)の15時より、ほっこりカフェの第2部「幸せに生きるためには―キリスト教的人生観」の講話(テーマは『利他主義と幸せ』)を開催しました。
 参加者はクリスチャンの9名、初めて来られた方を含むノンクリスチャンの4名の方々の合計13名でした。
 利他主義(りたしゅぎ)とは、自己の利益よりも、他者の利益を優先する考え方。あるいは、自分を犠牲にしても他人の利益を図る態度・考え方。平たく言うと他人の幸せを自分の幸せとすること。類似語は愛他主義、無私。対義語は利己主義。
利他主義」とは仏教用語のように見えるが、19世紀のフランスの社会学者による造語、アルトルイズム(altruism)の和訳です。

〔名言〕

「人のために骨を折れ、損得を越えて誠実であれ」(論語

「己の欲せざるところ、他に施すことなかれ」(論語

「人が他人からしてもらいたくないと思ういかなることも他人にしてはいけない」(ヒンズー教

「他人を幸福にするのは、香水をふりかけるようなものだ。ふりかけるとき、自分にも数滴はかかる」(ユダヤの格言)

「人は得ることで生活(living)を営むことができるが、人に与えることで真の人生(life)を生きることができる」(ウィンストン・チャーチル

「与えることは最高の喜びである。他人に喜びを運ぶ人はそれによって自分自身の喜びと満足を得る」(ウォルト・ディズニー

「確実に幸福になるただ一つの道は人を愛することだ」(トルストイ

「他人の幸福を増してやるのに比例して自分の幸福も増す」(ベンサム

「愛されることは必ずしも幸福ではなく、愛することこそ幸福だ」(ヘッセ)

「幸福になろうと願うなら、自分を捨てて他人の幸福を願うことだ」(ラッセル)

「幸福になりたければ、人につくす喜びを生きがいにせよ」(カーネギー

「他人の幸せを考えるほど、自分も幸せになる」(コンサルタント福島正伸(まさのぶ))

アメリカの幸福度の研究結果〕

 アメリカの科学者の研究によると「良い行いをする」ことで喜びや達成感を味わう人は抗体力が強く、抗ウイルス遺伝子を持っており、炎症性遺伝子発現が低いことが分かりました。
 それに比べて自分だけ幸福を得るという人は炎症性が高く、免疫細胞も弱いことがわかったのです。
 つまり、人間の遺伝子は幸福感を得る方法によって、とても敏感に影響されるようです。
 例えば自分にご褒美を買うなどして、幸福感を得る場合と、人に何かをしてあげることで幸福感を得るのとでは、他人を喜ばすことで得る幸福感の方がより強いものであるということです。    
 そのような他人を喜ばせようとする善行は幸福をより一層深いものにし、さらに免疫力が高まることが証明されたということです。
 もう一つ、アメリカで60名以上の心理学者たちが数億円の予算を組んで、どうすれば人間性を向上させ、人が幸せになれるかを調査した結果、「自尊心、霊性、家族、良い結婚、友情」などが幸せな人生への鍵であり、希望、生きがい、正しい目標を追い求めることも人に幸福感をもたらすという結果が出ました。
 また、他人が幸せになるように手助けすることも、新しい人間関係、新しい希望を生み出し、幸福感を増すのです。そして何よりも感謝の心を持つことが、幸せな人生の大切な要素だと分かったのです。
 後半部分の利他主義である「他人が幸せになるように手助けする」ことは、新しい人間関係、新しい希望を生み出し、幸福感を増すということについて、認識し、意識すべきでしょう。

〔チリの鉱山での落盤事故の出来事〕

 2010年南米のチリの鉱山で落盤事故が起こり、地中深く閉じこめられた33人の作業員全員が、70日ぶりに無事生還したという事故は記憶に新しいことでしょう。
 チリ鉱山の地中深くでは、劣悪な環境にもかかわらず、作業員たちが驚くほどの団結力、協調性でサバイバルを続けたということでした。
 地上からのサポートもあるが、作業員には強力なリーダーシップを持った人物がおり、普段から互いに仕事仲間を思いやる寛容さと信頼関係が皆にあったからこそ、作業を分担するなど生活規律を守り、パニックにもならずに励まし合い、希望を持って生きてこれたと報じられている。
 報道では、彼らの心の支えとして、サッカーW杯のDVDや手紙などと共に、ローマ教皇から一人ずつにロザリオが差し入れられた。聖書も贈られ、毎日二回の祈りが日課だったという。
 彼らは救助を待つ間、互いを思いやり、規律正しく過ごし、救出用の掘削が完了した時、口々にこう言ったといいます。「自分は最後でいい。仲間を先に助けてくれ」と。
 皆が極限状態にありながら、人のこと、仲間のことを考えたことは美しく、だからこそ、世界中で感動を呼んだことでしょう。
 おそらく彼らは人のためという「良い行いをする」ことを強く持っていたことで、上述したようにストレスや疲労などへの抗体力が強く、抗ウイルス遺伝子を持って、炎症性遺伝子発現が低かったことが想像されます。

ブータンの考え方〕

 2012年、海外青年協力隊としてブータンの小学校で教師としている仁田明宏さんが、「今年3月、日本の教え子から卒業文集が送られてきました。その中に『3億円あったら、どうする?』というコーナーがあり、みんなが答えを書いています。その半分くらいが『貯金する』でした。今の日本の現状を映しているのでしょうが、あまりに夢がない答えです」と述べています。
 それで仁田さんは同じように、「ブータンの子どもたちに授業で『すごくたくさんお金があったらどうする?』と同じ質問をすると、すると、大半の子が『貧しい人にあげる』『親にあげる』など、自分以外の人を幸せに使うと答えたそうです。
 さらに仁田さんは「同じ子どもたちに『幸せですか』とも聞いてみると、ほとんどが『幸せです』と答えたのですが、理由は『家族と一緒にいられるから』『食べ物が毎日食べられるから』『学校に行けるから』。日本では当たり前と思われることばかりです」と語っています。
 ここから日本の子どもたちは3億円を自分のために使うことに対して、ブータンの子どもたちは、親や貧しい人たちにあげる、与えるという人のために使うということです。そのような与える精神が幸せと直結するということでしょう。
 
〔あるブータンでの出来事〕

 去年の暮れにテレビである23歳のタレント女性が幸せを求めて、幸せの国と言われるブータンの国のある絶壁の家に行って、本当の幸せと何かを求めるという番組がありました。
 彼女はその絶壁の家に行って、その家の6人家族のお嫁さんに「あなたは今、幸せですか」と質問し、逆にそのお嫁さんから「逆にあなたの幸せとは何」と聞かれました。
 そこでタレント女性は「私にとっても幸せは自分自身がタレントとして売れること、お金をそれなりに稼げるようになること」と答えました。
 彼女と同い年であるお嫁さんは「あなたは自分の事しか考えていない。私達にはそれは幸せじゃない。周りの人の事を考えず生きて、幸せなんて考えられないはずよ」と諭しました。
 その言葉はタレント女性にとって、目の覚める言葉で、彼女は「自分が幸せになればいいとか、自分にたくさん仕事が入ってくればいいとか、『自分が自分が』だったので、自己中心的な一方的な感じですね。家族に対しても」と涙を流しながら、悔いていました。 
 ここでブータンの人達の幸せ感は自分一人だけで得るのではなく、周りの幸せが自分自身の幸せで、それが本当の幸せであるということで、女性タレントの幸せ感と対極的にあることがわかります。
 この女性タレントは、番組で幸せというものを少しわかりかけてきたと語っているように、ここから自分視点の幸せから他人の幸せに少しずつ転換し、あるいはまた自分の事よりも他人のことを少しずつ優先していったことでしょう。

〔ロックフェラーの転換期〕

 石油王のロックフェラーは33歳で百万長者になり、43歳でアメリカ1の金持ちになって、53歳で世界の金持ちになったが幸せではなかった。55歳に彼は不治の病にかかり余命一年と宣告された。
 そんなある日、彼は検診のために訪ねた病院のロビーで、額縁の「与える人が、受ける人より幸せである」という言葉に釘付けになり、彼は瞬間全身熱くなり、涙があふれた。
 しばらくして、彼がいたロビーのまわりが騒がしいので振り向くと、病気の少女の親と病院側が入院の費用が払えないことで揉めていた。
 ロックフェラーはすぐ秘書を通して入院費を払い、名前を伏せ、その後、助けられた少女は奇跡的に回復し、その姿を見たロックフェラーは喜び、「私は今までこんなに幸せな生き方があるのを知りませんでした」と感激しました。
 今までの彼は「何百万もの富を築いたが、私はそれで幸せを得ることはなかった」と語っているとおり、ものが有り余るほど持っていたとしても、幸せ、満足感を得ることができなかったのです。
 しかし、与えること、人が幸せになることを自分の幸せとしたときに、彼は初めて幸福感を得ることができたのです。
 そこからロックフェラーは、分かち合いの生き方をしようと決心し、すると、病気も不思議と治り、彼は95歳まで生き、よい働きに尽力しました。
 彼の人生の前半期55年間は不幸せに生き、後半の40年間は幸せに暮らしたのです。

〔聖書の利他主義について〕

 利他主義、つまり、自分の事よりも他人のことを優先するということについては、聖書のフィリピの信徒への手紙2:3−5のみ言葉があります。
「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。」
 ここで「めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払われておられるのがイエス様で、そのイエス様は「自分自身の事より、自分自身の幸せより、他人のこと、他人の幸せを願い、求めておられました。
 そして、その生き方が本当の幸せということをイエス様は身をもって、教えられ、また「周りの人の事を考えず生きて、幸せがないこと」を聖書でもって、教えてくださいました。
 それだからこそ、「主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた」(使徒言行録20:35)のです。
 ここでは「受けること(もらうこと)」と「与えること(あげること)」を比べ、「与えること(あげること)」の方が幸いである、と述べているのです。
 普通では、もらうことが幸いだとされるので、イエス様のこのみ言葉は常識と全く逆のことを主張しています。
 しかも、そうすることが幸いである、つまりそうすることによって恵み、より大きい満足あるいは喜び、幸せが与えられると述べているのです。与えることによって、より良いものが返ってくるという主張です。
 この事は先ほどのアメリカの幸福度の研究結果とつながっていると思われます。

 それでは「与えること」とは具体的に何でしょうか。
それは、物品や金銭が思い当たりますが、それらに限らず、第三者のために自分の時間を割いてあげること、手を差し伸べてあげること、その人が言いたいことを聞いてあげること、やさしい言葉をかけてあげること、あるいはその人に関心をよせてあげることなど、幅広い行動が含まれると思います。
 つまり、本来自分が所有しているモノやおかね、あるいは時間や知力・体力・精神力を第三者に与えることであり、自分自身の一部を何らかのかたちで他の人に分け与えることに他なりません(布施心、贈与の精神、あるいは利他主義)。
 そして、それらを与える対象は、個人の場合もあれば、特定の組織あるいは社会一般に対する場合もあるでしょう。
 そのように自分のことより、人に与えるという精神、見返りを求めない他人への利益を追い求めることは不思議と心が安らぎ、幸せな気持ちになるのです。

 もちろん、このように思うことはできても、行動、実践においては、なかなか困難で、難しいと言えるでしょう。
 しかし、私たちは少しずつ、与えるという積み重ね、また形から入って、少しの行動、具体的にはゴミ拾い、募金、笑顔、陰徳などなど、1mmからの実践を続けていきたいものです。
 私たちは自分自身の事より、人のことを少しでも思うこと、優先すること、注意すること、そして、「周りの人の事を考えず生きて、幸せなんて考えられない」こと、つまり、他人の幸せを思い、願い、行動することにあって初めて自分自身が幸せになるということを覚えて、今後、生きていきたいと思います。
 








 
第1部のほっこりカフェでは初めて来られた方を含むお客様6名、スタッフ5名の11名が出席しました。
 今回は久しぶりに始めて来られた方がおられ、皆で歓迎し、その後、皆でおしゃべりをして、差し入れの美味しい手作りケーキ、美味しいお菓子、美味しい手作り水ようかんなどを頂き、ほっこりして感謝でした。


次回のほっこりカフェは8月26日(水)14時半から16時まで開催いたします。
 コーヒー、紅茶、ジュースなどを飲んで、お菓子などを食べながら、おしゃべりしませんか。
 来られた方には「み言葉の宝石」(み言葉集)のプレゼントがあります。
 どなたでも参加できます。お気軽にお越しくださいませ。
 お待ちしております。