2015年10月14日(水)第2部 「聖書から人生を学ぶ」とほっこりカフェ

 本日、ほっこりカフェの第2部「聖書から人生を学ぶ」(フィリピの信徒への手紙2:1〜16)を開催しました。
 今回はノンクリスチャン3名、クリスチャンの初めて来られた方を含む10名の合計13名が参加しました。

 聖書の箇所で、「何事も、不平や理屈を言わずに行ないなさい」(2:16)というみ言葉が実践的に非常に難しいという話になりました。

 「不平」というのは原語のギリシャ語では「ぶつぶつ言う」、または「つぶやく」(口語訳)というような意味を持ち、「理屈」というのは「理屈をこねる」、つまり、屁理屈を言うという意味があります。
 
 私たちは日常生活の中で、何かあるたびに「ぶつぶつ」文句や愚痴を言い、自分自身の中で理屈をこねて、自己を正当化することはないでしょうか。
 もちろん、私たちは弱い存在ですので、不平不満を言わずに生きていくことは非常に困難なことですが、しかし、一つ一つ「ぶつぶつ」言うことを減らしていき、感謝することを習慣化していきたいものです。

 また「へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え」(2:3)という「へりくだる」とは、「謙遜」と同じ意味をもち、謙遜とは物腰が低い、やわらかいというものではなく、自分は赦された罪人であるということを認めることだと思います。
 
 このことは片柳弘史神父の以下の言葉が参考になります。
 「宗教者は大きく言って、①神を絶対化して謙遜になる人と、②神を信じている自分を絶対 化して傲慢になる人の2種類に分かれます。
 本物の宗教者は神の偉大さの前に跪き、 偽者の宗教者は自分が偉大だと思い込んで人を見下すのです」
 
 神様を絶対化して、自らが赦された罪人ということを覚えて、神様の前にひざまずいて、へりくだり、謙遜になっていきたいものです。

 分かち合いの中でご感想やご意見を伺った時に、ある出席者の方から、昔はぶつぶつ言っていたが、食卓に聖書のみ言葉「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんな時にも感謝しなさい」というみ言葉のカードを置いて、そのみ言葉を見ていたら、ぶつぶつ言うことがなくなったと言われたことが本当に印象的でした。
 また他の出席者から、イエス様のへりくだりは神様が人になるというもので、人のへりくだりとは違う質のもので、イエス様の人間とへりくだりは天と地ぐらい差があり、私たち人間ではできないものという感想もなるほどと思わされました。







 今回のほっこりカフェでは差し入れの美味しい北海道教旭川聖マルコ教会の婦人会の「手作りにんじんパウンドケーキ」や岡山産ぶどうや神戸のお菓子を皆でいただき、楽しくおしゃべりして、ほっこりして感謝でした。
 出席者はお客様7名、スタッフ5名の12名が出席しました。


 10月21日(水)のほっこりカフェはお休みです。次回は10月28日(水)14時半から開催いたします。

 初めての方も大歓迎です。どうぞ、お気軽にお越しくださいませ。

 お待ちしております。